日本共産党流山市議団
議員の紹介
いぬいえり
いぬいえり

プロフィール      

 1959年東京都生まれ。夫・子と三輪野山在住。都立国立高校・東京女子大卒業。東葛病院労働組合などで労組書記として27年間勤務。故若王子博夫さん、いぬい紳一郎前市議の議席を引き継ぎ、2023年4月初当選。
連絡先:市議団事務所0471576140(FAX兼用)
メール:giindan@nagareyama-jcp.jp
公式LINE:https://lin.ee/uOC4TKZ

いぬいえり議員の活動

自己紹介

 1959年東京渋谷に生まれました。両親は地方から東京に出てきた典型的な核家族です。1967年東京が美濃部革新都政になるその息吹を感じて育ちました。漫画家になりたいと思っていた子供の頃、手塚治虫の「火の鳥」などの影響で核戦争や平和について考えました。東京の空襲を経験した母になんで戦争になったのかきいたときに「ばかだったのよね。だまされてたのよね。今度戦争になりそうになったら、みんなで反対しなさい。みんなで反対すれば戦争にならなくてすむから」といったのが胸に刻まれています。
 学生時代に戦争準備の法案が大問題になったとき、反対運動のデモに参加、その後共産党に入りました。戦争反対は私の原点です。

 大学卒業後は地域の民青同盟や共産党の活動に参加してきました。1992年、夫の仕事の関係で流山に。1995年には夫いぬい紳一郎が若王子博夫さんの後継として市議会議員になりました。私は病院(みさと協立病院〜東葛病院)の労働組合の書記として働くかたわら、地域の共産党支部の一員として赤旗しんぶんの配達や集金などにたずさわってきました。

 地域の共産党の活動としてたいへん印象的だったことがあります。
 2008年リーマンショックで派遣切りが大問題になったとき流山でもホームレスになる人があいつぎ、いぬい紳一郎市議と地域の共産党などが連携して生活再建を支援しました。
 2011年の東日本大震災では福島の原発事故からこの流山に避難してきた人たちがいました。しかし市の対応は最低限の避難場所の確保にとどまり、市議・共産党支部・女性団体・医療関係者などが協力して炊き出しや布団の確保など支援に奔走しました。
 これらのことは共産党の値打ちを私の心に深く刻むものとなりました。

 2015年日本を戦争する国にする「安保法制」反対の運動が大きく広がりました。流山でも「憲法こわすな・戦争させるな!流山連絡会」ができ、私は事務局として毎月おおたかの森駅での宣伝行動を続けてきました。

 2023年いぬい紳一郎市議の後継として市議選に挑戦し、住民の立場、困っている人の立場に立ってはたらく議席、そして平和守る議席を引き継ぐことができました。選挙中に掲げた急激な人口増に追いついていない医療や教育の充実などの公約、またみなさまから寄せられたご要望の実現のためにがんばってまいります。(2023年5月)

いぬい紳一郎前市議の活動はこちら

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