日本共産党流山市議団
議員の紹介
いぬい紳一郎
いぬい紳一郎

プロフィール      流山市議団ホームページの管理者です

1954年 福井県勝山市生まれ
議員任期:7期 市議団長
議会運営委員会副委員長、都市建設常任委員会委員長、市民経済常任委員会委員長など歴任
住所:三輪野山1−1192−2  電話:090-8086-3281
ツイッター:https://Twitter.com/jcpinui
メール:inui-jcp-toukatu@nifty.com
活動区域:三輪野山、加1〜6、流山1〜6、平和台1〜4、南流山1〜8、鰭ヶ崎、西平井、下花輪、前平井、後平井、中、木、流山

いぬい議員の活動

My Message

7期目も全力投球                         

 初当選以来「医療・福祉に情熱を」と24年。この4年間は、子どもの医療費助成を中学3年生まで拡大、学校の教室へのエアコン設置、「年金でも入れる特養ホーム」の増設などを実現してきました。また、下花輪スポーツフィールド建設工事にかかわり、建設費増額のための契約変更議案で、議会承認がおこなわれる前に、工事発注し変更工事が実施されていた問題(地方自治法、及び市条例違反)を議会で厳しく追及するなど、行政を監視するチェック機能を発揮してまいりました。
 つくばエクスプレス沿線開発も終了期となり、流山市は新たなまちづくりを構想していく時期を迎えています。人口急増にともない市民サービスの不足(保育、学校、救急医療など)が問題になっています。また、「自然がなくなった」「地域間の格差が大きい」など、急激なまちの変化を心配している市民の声も届いています。格差と貧困が広がる中での地方自治体の役割を行政トップが認識していません。
 こうした中で、日本共産党市議団の果たすべき役割はますます大きくなっています。市長選挙でかかげた「だれもとり残さない」政治をめざして、全力で働く決意です。引き続き、みなさんのご支援をよろしくお願いします。

市議会議員 いぬい紳一郎

いぬい紳一郎の個人リーフはこちらです。

いぬい紳一郎のポスターはこちらです。

自己紹介

 わたくしは、1954年9月14生まれで、現在64歳です。出身地は、霊峰白山の麓、福井県勝山市というところで、歴史と自然の豊かな田舎町です。父(国家公務員)、母(農協職員)は共稼ぎでしたが、父は農家の長男で、祖父母、叔父・叔母など10人の大家族の中、2人兄弟の長男として育ちました。
 地元の高校(県立勝山高校)を卒業後、弁護士を志して中央大学法学部に入学。しかし、東京での一人暮らしで友人もできず、目的を失って、大変苦しい学生生活を送りました。その後、東京杉並区で民青同盟に誘われ、サークル活動や平和運動の経験を経て、22歳の時、日本共産党に入党しました。
 大学卒業後、畑違いのコンピュータのプログラマーとして3年間働きましたが、身体をこわして退職。29歳の時、経験を買われて、民医連代々木病院の電算室で働くことになります。代々木病院では、平和委員会や労働組合の執行委員として活動しました。核兵器廃絶を求める「ヒロシマ、ナガサキアピール」署名運動に参加し、渋谷区人口過半数の署名をあつめる活動や、看護婦闘争などに力を発揮しました。その後、代々木病院と東葛病院(千葉県流山市)の合同に伴い東葛病院に職場移動となり流山市に転居。地元の党組織に要請され、1995年の市議会議員選挙に立候補、当選しました。40歳の時です。
 初当選以来、7回の選挙を経て現在7期目にはいりました。いつも住民運動とともに歩んできたと実感しています。「せめて68歳までの医療費助成を」の運動、平和台のパチンコ店出店反対運動、新ゴミ焼却場建設反対運動、そして、巨大道路反対運動などにかかわり、議会で常に住民の立場にたって質問し、「ゴミ議員」「パチンコ議員」といわれるような活動でした。
 さらには、市政や議会の不正・疑惑追求の先頭に立ってきました。4年前の大型ゴミ焼却場建設をめぐる談合疑惑、前市長による職員不正採用問題、前市議による1500万円受領問題など様々な疑惑がマスコミでも取り上げられてきましたが、清潔な党・日本共産党の一員として議会での追求の中軸をになってきました。2011年以降は、議会基本条例特別委員会委員、議会活性化特別委員会副委員長として活動。流山市議会の議会改革に深くかかわり、超党派での「開かれた議会」へと努力してきました。。こうした経験は、政治的な立場の違いはあっても、市民のために良いことは一致点を広げ、議会全体で協力する気風へと発展しています。
 流山市は、つくばエクスプレス沿線開発によって、まちが大きく変貌しています。4年間で2万人という急激な人口増に行政が追いつかず、5年後には50学級をこえる全国有数の超マンモス校が3校にもなるとされています。おおたかの森駅周辺など、新しい市街地では年少人口の増加への対応を、既成市街地では高齢化社会への対応を、両者を同時にすすめなければならない難しさをかかえています。
 流山市は現在2020年度から始まる長期計画を策定中です。この議論の中で、従来の自然破壊の大型開発中心から住民の暮らしや福祉の充実に視点を変え、「コンクリートから人へ」を、議会論戦や住民運動を通して訴えていきたいと考えています。

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