流山市防災対策の課題 応援頼みの結末
1月1日の発災した能登半島地震。
能登半島では、限定的な地域での被災はあるものの、延長100キロもの半島全体に大きな被害をもたらすような大規模な地震は100年来きていなかった。
今回の発災後、1月9日の中日新聞では、「「ほとんど寝てない」「限界」 被災地職員、全国から応援も人足りず」との見出しの記事が報道されている。また共同通信の調査(1月23日)では、全職員に対する参集割合(発災直後)は、珠洲市で20%、輪島、七尾両市が39%、穴水町は38%、能登町54%、志賀町が62%となっている。
実際私も現地をお訪問した1月5日、6日時点ですら、職員の心身的疲労は相当高かったことを肌で感じた。それでも、次々寄せられるSOSへの対応に随時追われていた。
また3月1日〜6日の現地支援活動でも、発災直後は自治体職員が参集できなかったとお聞きした。
中日新聞の報道では、、、
輪島市約280人(市民千人当たり11.4人(流山市は5.7人/市民千人当たり))のうち、直後に参集できた職員は2〜3割、1週間後で9割まで回復したとのことです。
輪島市内の避難所170ヶ所(R4年9月1日現在、人口:2万4472人ー避難所1ヶ所当たり144人(流山市は避難所1ヶ所当たり約3千人)、面積426.32キロ平米−避難所1ヶ所あたり2.5キロ平米(流山市は避難所1ヶ所当たり約0.5キロ平米)への支援等にあたったとのことです。「避難所が高齢化しつつある。夜間のトイレは当初、住民同士で助け合って同行していたが、現在は職員が対応する必要があり、負担が増えている」との職員の声は大変リアルです。
また記事によると、2016年の熊本地震では、発生3日後に200人超、10日後には1000人超の応援職員数に上ったとしている一方、能登半島地震では、想定が各市町村に20名程度に対し、実際、発災後1週間後で750人の要請に対し、440人弱の対応数にとどまってしまったようです。
さらに日本共産党の現地調査では、2月末(発災後60日)で公的避難所への救援物資届けが打ち切られました。他自治体からの職員が、救援物資支援から復旧支援に変更されたことを受けた措置だそうです。また、応援職員を派遣している自治体も、職員体制にゆとりあるわけではないでしょう。応援職員一人ひとりのスキルも、被災自体が求めているものを当初から備えているわけではないと思いますが…時間の経過で、先細りになることは間違いありません。
今流山市が何をすべきか、、、就任後21年目とはいえ、今の市長も残り3年しかありません。
市民生活は30年、50年と続き、市職員も20年、30年と働くわけですから、今こそ一緒に考え、取り組みを広げましょう。