韓国の日刊紙「ハンギョレ」が5月15日付で、創刊21周年特集記事の一つとして、1面にわたる日本共産党特集が掲載されました。その中で、徳増きよ子議員の活動が紹介され、インタビューも掲載されました。
取材した記者が日本語に翻訳した記事の内容を入手しましたので、一部を掲載します。
日本版88万ウォン世代・非正規職 彼らが共産党員になった理由
製造業まで派遣職許容‘終身職場失踪’
年俸2百万円以下‘ワーキング・プア’1千万人
共産党、草の根組織再編・街頭労働相談
進歩の道探し/日本共産党の復活
元自衛隊員のサガワマコト(60、仮名)は昨年10月、日本共産党に入党した。父の影響で選挙のたびに政権党の自民党に投票していた彼が、自民党と正反対にある政党に入党したのは、失業がきっかけだった。
1969年から1980年まで11年間、自衛隊で働いた彼は昨年、厨房・家具リサイクル業で2カ月間、パートタイムで清掃をしていたが解雇された。自衛隊退職後、印刷業界で長いあいだ働き、各種の非正規職を転々とした彼が失業後、手元に残ったのは3万円だけだった。
1日の生活費を500円に抑え、毎日自転車に乗って職場を探したが、60歳の彼がパートタイムの職を得るのは容易ではなかった。そのとき、日本共産党機関紙「赤旗」を購読している隣人が、共産党に一度相談してみればいいと教えた。
サガワの苦しい事情を聞いた日本共産党千葉県流山市議の徳増きよ子(58)は、すぐさまサガワとともに市役所に行き生活保護を申請した。44歳のときに3回も生活保護を申請したが拒否された経験がある彼は半信半疑だった。しかし、すぐに毎月7万円の生活保護を支給されることになった彼は、「変な人々が集まる集団」と思っていた共産党に対するイメージをすっかり変えた。
先月26日、共産党千葉県流山市東部支部の日曜の集まりで、「ハンギョレ」と会ったサガワは「社会の底辺の弱者を助けるために共産党に入った。入ってみたら、みんなとても親切で、知らなかったことをいろいろ教えてくれた」とほほ笑んだ。
恋人はいたが、決まった収入がなく結婚もできず、長い不安定な生活のせいで、軽いうつ病までわずらった彼は、この日の会議のあいだじゆう生き生きとして、ときおり冗談も言うほど元気だった。
この日の会議には、宗教団体・創価学会を母体とする連立与党・公明党の党員だった60歳代の女性、70歳に入党した一人暮らしの老人など、他の新入党者も出席した。
(以下、中略)
流山市 徳増議員
「弱者の避難所、共産党に相談を」
千葉県流山市の徳増きよ子市議(58、女性)は「日本共産党は老舗と同じで国民を裏切らない政党」と自負心を見せた。26年間の共産党地域活動と、二回の国会譲員選挙落選をへて、2年前に市議に当選した彼女には、日本共産党の生命力が見て取れた。
・共産党市議としての役割は何だと考えるか。
「地域の要求や悩み、困っていることを聞く駆け込み寺のような存在だ」
・解雇された派遣労働者や社会的弱者が助けを求める例は多いのか。
「そう。希望退職を求められた40歳代の男性の相談を受け、やめずに労働組合に入ってたたかうように言った。3回も生活保護を拒否された人とともに市役所に行き、生活保護申請をして支給金を受けたこともある」
・「困ったことがあったら共産党に行け、という言葉があるというが。
「議員に当選した直後の2007年夏、駅前で宣伝活動をしていたとき、一人の男性がふらついているので話しかけたら、『公園で何カ月も暮らしていて金がない。共産党に相談したい』と言う。どこで共産党のことを聞いたのかと尋ねると、『スーパーマーケットの守衛が、困っているなら共産党に行けばいいと言ったので来た』と言った。彼は公園を住所にして生活保護を申請し、アパートに入ることもできた。いまは職も得て生活保護も受けずに生活しているが、自分も人助けがしたいといって共産党に入党して活動している。困ったときに助けられて入党する人が多い」
・共産党ブームを感じるか。先月の地方選で共産党が躍進したが。
「流山東部地域の場合、最近1年間で17人が入党した。他の地域でも入党者が増えている。流山市議会は28人中4人が共産党だ。十分な数ではないが、議案を発議できる。今年4月、介護保険料に関する条例改正を提案し、保険料を引き下げた」
・個人的に共産党のどこが魅力的か。
「弱者に対して親切というか、庶民の党だというか、怖い印象はなかった。共産主義理念と綱領を最初から最後まで理解して入党したわけではない。戦争に一貫して反対した政党だということを知って入党した」
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